属性と同一化と学歴コンプレックス

私は学歴コンプレックスをこじらせている人がネット上で多いと感じるのは、このためであると考えた。学歴はその人の属性の一部でしかないのに、大学と自分を同一の存在としているからだ。
これは世間一般に高学歴と呼ばれている人でも非常に危ない考えであると思う。何故ならば学歴こそ自己であるかのごとく錯覚してしまうからだ。この状態が続けば、人の判断基準に学歴が付きまとって健全な人間関係を構築できなくなる他、アイデンティティが学歴に依存しているため、全てにおいて学歴に縛られる可能性がある。
ここで、学歴コンプレックスについて書いたのは、最近のネットではそのような煽りが多く見られるためである。
私は個人の属性には、色々なものが添加されており、学歴という材料のみでは判断できないと思っている。このような人の事を蔑むような情報が氾濫しているのは非常に嘆かわしいし、それによって憎悪をあおがれた人同士で暴言を交わし合う場面も見苦しいものだ。
また、煽りによって被害を被る人は、それに文句をつける場もない上に、それを1人で抱え込むこととなるのでとてもいたたまれない感情になる。
そのためにも、属性の同一化は危険なのである。現実の社会でそれらの情報を避けるのは難しいが、無駄に傷つかないためにも、その内容を深追いしたりせずに、その情報から離れ、心をそっとしてあげる時間が必要である。
非情にも煽りの宣伝は人々の知的好奇心を刺激し、それを食い物とされてしまう。蝕まれないためにも日頃から気をつけていきたいものである。